射撃の歴史
射撃はもともと、イギリス貴族が鳥獣練習用に生きた鳩を飛ばして撃っていた競技がルーツである。1800年ごろにはピジョン撃ちが競技として定着した。しかし、動物愛護の面や、競技の公平性の問題から次第にガラス玉や、粘土を焼き固めたクレーを標的とする様になっていった。1900年ごろからオリンピックの正式種目として採用された。
スキート射撃場のレイアウト
半円形の両側にハイハウス(プール)とローハウス(マーク)の2つの放出機が設置され、このハウスからクレー・ピジョンが左右同時(ダブル)または片方だけ(シングル)放出される。クレーが放出される方向は一定であるが、射手が8つの射台を移動することで標的に対する角度が変わり、追い撃ちから迎え撃ちまで変化する。クレー25枚で1ラウンドというのはトラップと同じだが、スキートはクレー1枚に対して1発しか撃てないので、弾は25発しか使えない。
トラップ射撃場のレイアウト
トラップ射撃は、クレー・ピジョンがどの方向に飛び出すか事前にはわからず、射手は自分から遠ざかっていく標的を狙う。ひとつのクレーに対して2発まで撃つことが許されるので、1発目(初矢)が命中しなければ2発目(後矢または二の矢)を撃ってもよい。トラップは銃を構えてからコールする。1番射台から5番射台までを5回、合計25枚のクレーを撃つのが1ラウンドである。
古代ギリシャ時代 |
“ポンピンジェイ”という弓矢で静的標的を射る競技が標的に鳩を使いトラップ射撃のルーツ的なものが行われていた。
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| 1450年 | スペインで黒色火薬の発明 |
| 15世紀末 | マッチロック(火縄)銃の発明 |
| 1504年 | チューリッヒに於いて小銃射撃大会 |
| 1543年(天文3年) | 日本/種子島に鉄砲到来 |
| 1556年 | ドイツの一農民が、一つ弾の代わりに散弾を開発し、一つの弾よりもはるかに命中率の高い、「散弾銃」を発明 |
| 16世紀 | ホイールロック(歯輪銃)の発明 |
| 1750年 | イギリスで飛鳥射撃クラブが始められる |
| 1824年 | スイスで射撃協会が設立 |
| 1861年 | ドイツで射撃協会が設立 |
| 1870年 | フランスで射撃協会が設立 |
| 1880年 | イギリスでピッチとバインダーで造った”Blue Rock”が考え出され、現在の標的に至る |
| 1881年 (明治14年) | 村田経芳少将により、13年式村田歩兵銃が完成された。 |
| 1882年 (明治15年) | 日本で東京共同射撃会社(後の日本帝国小銃射的協会)の設立 |
| 1886年 | フランス人科学者ポール・ヴィエイユ(Paul Vieille)が無煙火薬を発明 |
| 1897年 | フランス/リヨンで第1回射撃競技世界選手権(5カ国)が開催 |
| 1900年 | アメリカで「AmatuerTrapAssn.」の前身/「AmateurTrapShootingAssn.」が設立。 フランス/パリオリンピックよりトラップ種目が正式採用。 |
| 1901年 | ノーベル賞が火薬の発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言にてはじまる。 |
| 1907年 (明治40年) | チューリッヒで射撃競技を統括する「国際組織」設立。日本のJR大森駅前西口高台(今の山王)で放鳥(スズメ)射撃が始められる |
| 1914年 (大正3年) | 帝国猟友会が、大森射場から横浜鶴見の東寺尾に移転させ、日本におけるクレー射撃の幕開け第1回の全国射撃大会がハンドトラップにて開催された。 |
| 1922年 (大正11年) | アメリカ/マサセッチュ-セッツデイヴィス氏により”クレーバードゴルフ”に工夫を加えた時計式射撃(シュートアラウンドクロック)が考案され、「ナショナルスポーツマン」誌に発表される。児島富雄氏が日本のクレー射撃の基本を造り、第1回全日本クレー射撃選手権が華々しく開催される。 |
| 1924年 (大正13年) | 日本で「学生射撃大会」が東京赤羽根射場にて開催される |
| 1926年 | アメリカの「ハンティング&フィッシング」誌と「ナショナルスポーツマン」誌に前述の「シュートアラウンドクロック」を進歩させた競技方法の正式名称を公募され、ガールド・ハ-ルバット女史が投稿した“スキート”というスカンジナビア語で“撃つ”という意味の名称が選ばれる。 |
| 1936年 (昭和11年) | 大日本射撃協会が改組、「日本クレー射撃協会」と「日本ライフル射撃協会」に分離する |
| 1948年 (昭和23年) | 全日本トラップ選手権が、敗戦の廃墟の中から協会により再開される |
| 1950年 (昭和25年) | 全日本選手権にスキート種目が設けられた。 |
| 1951年 (昭和26年) | 第6回広島国民体育大会にトラップ種目が正式参加、翌年から両翼になる神奈川県射撃協会がクレー・ライフルの両競技で合同での設立。 |
| 1952年 (昭和27年) | 高知のミロク製作所より単発銃を生産再開。 |
| 1955年 (昭和30年) | 横浜富岡射撃場にて第10回国体クレー射撃開催。 |
| 1959年 (昭和34年) | 日邦工業、旭精機工業(現ASK)吉沢商店(現日本装弾)など国産装弾メーカーが、相次いで本格的機械詰め装弾の製造態勢に入った。 |
| 1964年 (昭和39年) | 東京オリンピック開催/イタリア・マタレリ優勝 |
| 1968年 | メキシコオリンピックよりスキート種目が正式採用 |
| 1970年 (昭和45年) | 日本での狩猟解禁時における事故多発から、閣議で「狩猟見直し」の声がかかり、狩猟法、銃刀法、火取法、狩猟税など、銃関係法規の一斉改正の動きとなった。 |
| 1977年 (昭和52年) | 再び銃砲関連法令の改正が次々に行われ、新たに「射撃教習制度」などが織り込まれる |
| 1992年 (平成4年) | バルセロナオリンピックにて渡辺和三氏(神奈川県)がトラップ種目にて日本人初の銀メダル獲得 |


